program notes

これまでわたしが書いたプログラムノート集の一部です。

 

2015.14.Feb  《無伴奏ヴァイオリンの極致》@大阪倶楽部

ヴァイオリン 中島慎子


【プログラム】

 ◆J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番

 ◆イザイ 無伴奏ヴァイオリンソナタ 第4番(フリッツ・クライスラーに捧ぐ)

 

 ◆バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番

 ◆イザイ 無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番(ジャック・ティボーに捧ぐ)

 ◆バッハ シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番より)

 ◆イザイ 無伴奏ヴァイオリンソナタ 第6番(マニエル・キロガに捧ぐ)

 

 

 

「クラシック」という言葉は、古典的な、と訳されますが、品格がある、最上のもの、という意味も併せてもつ。今から300年前に書かれたヨハン・セバスチャン・バッハ(16851750)の世界と、100年ほど前にベルギーのヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイ(18581931)によって書かれた、ヴァイオリンソロのための作品。数百年前の「古い」作品を弾くこと、それらを交互に並べることに意味があるのか。

 

 この数百年の間に、人間を取り巻く環境は大きく変化した。最も著しく異なるもの。それは、「価値観」ではないだろうか。

 物質や時間に対する価値観然り。しかし、精神的なもの。何が人間にとっての幸福なのか、という永遠、究極の問い。その答えは、表層的には、科学の発展やいわゆる啓蒙によって、謎は解けた!とする「現在」に、常に影響され、流されるものだろう。(本質的には何も変わらないのかもしれないが。)

 

 音楽家は目には見えない「音」を扱う世界に生きるので、他の人たちよりも精神的なもの、神や天、そして人間について考えることが多い。

 バッハとイザイ。今日演奏する、彼らのヴァイオリンのための無伴奏作品は、それぞれ旧約聖書と新約聖書に喩えられるほど、どちらも偉大な作品だが、時代の差はあれ、「神と人間」あるいは「人間と神」、もしくは「人間」への愛に満ちている。

 

 バッハの3つのパルティータは、彼がケーテン候に仕えていた時代、1720年頃に3つのソナタと合わせて書かれたもの。パルティータは、組曲という言葉と同じく、異なる舞曲の連なり、という意味です。宮廷で、外交という役目をも担った舞踏会では、他国由来のステップまでも淀みなく踊れることが、上流社会の教養であり、政治や出世にまで影響していたヨーロッパの歴史があります。

 アルマンドはその名の通り、ドイツ由来のステップ。クーラントはフランス。サラバンド、そしてシャコンヌはスペインから。ボレアはブーレのイタリア語読み。ジーグはイギリスなど。それぞれ踊りの形式(ステップや拍子、早さ)を表す言葉です。

 第1番パルティータにはそれぞれ楽章の後に、ドゥーブルが付きますが、それは装飾の付いた変奏、という意味です。

 

 第1番、2番、3番。番号で呼んでしまうと、何だか味気ないものに感じますが、それぞれの最たる違い。

 それは「調性」でしょう。1番はh-moll(ロ短調)、2番(シャコンヌ)はd-moll(ニ短調)、3番はE-Dur(ホ長調)。

 調性を文字で書いても何も伝わりませんが(苦笑)、それは空の色や空気感。湿度や光度がまるで異なる世界なのだ、と申しあげましょうか。

 そして、これがバッハだといつも感動するのが、調性といっても、ある一色の色調のみで書かれているわけでなく、まるで太陽や月の位置が数時間後には別の場所にある、ように、偉大な動きに運ばれて、時間が経過するうちに、じんわり違う場所に立っているところ。

 バッハの見ていた、生きていた世界。その世界を動かすエネルギーの壮大さ、深淵さに圧倒されます。

 

 

 

 名ヴァイオリニストでもあったイザイは、1923年、シゲティの演奏するバッハのソロソナタを聴いたことにインスピレーションを受け、自身でも全6曲のソロソナタを書くことを決意する。イザイは素晴らしい技術と音楽性をもち、大きな人間(精神的にも肉体的にも!)であったことから、多くの作曲家や後輩のヴァイオリニストから尊敬され、愛されていた。フランクのヴァイオリンソナタやショーソンのポエムは彼のために書かれたものだし、ドビュッシーの弦楽四重奏は彼が初演している。

 そして、イザイは6曲のソロソナタをそれぞれ、自分の友や後輩である親しい6人のヴァイオリニストに捧げることにした。

 

 イザイ第4番ソロソナタは、ウィーンのフリッツ・クライスラー(1875-1962)に宛てて書かれた。クライスラーはヴァイオリニストとしては、とても「らしくない」経歴の持ち主で、一時は医者になろうとしたり、大戦にも祖国のために軍人として参加している。「愛の喜び」や「美しきロスマリン」など、世界中で愛されるヴァイオリンの名曲を沢山作曲したことでも有名だ。数多くの逸話と共に、その洒落っ気あるスタイルが印象に強い。

 しかしなぜ、イザイが、そのユーモア溢れるクライスラーに正統派の、古典に則った(1楽章はアルマンド。2楽章はサラバンド、とバッハを想わせる)形式で曲を書いたのか。

 それはイザイが、真のクライスラーの人間性、非常に博愛に満ちた人物であるということを強く理解していたからだと思う。

 イザイが病気のために公演に出られなくなった時、ためらうことなく代役を引き受けたのはクライスラーだったし、二人の間には深い絆があった。イザイが死の床にあったとき、自身に献呈されたショーソン直筆の詩曲(ポエム)の原譜を、愛を込めてクライスラーに送っている。

 

 

 イザイ第2番のソナタは、フランスのジャック・ティボー(1880-1953)に。イザイとティボーが出逢ったのは、なんとティボーがたった11歳の時。この微笑ましい出逢いは、「ヴァイオリンは語る」というティボー自身が筆を執った自伝に詳しく書かれています。彼の書く文にも表れていますが、ティボーは小さな頃から夢見がちで、ファンタジーに溢れたロマンチストで、彼の演奏は詩情に満ちています。

 その個性を愛したイザイは、ティボーにふさわしい幻想的な2番を書き上げました。1楽章—執念、2楽章—憂鬱、3楽章—亡霊の踊り、4楽章-復讐の女神たち、と副題が付いています。バッハの第3番パルティータの旋律(天・神・善をイメージするもの)と、グレゴリオ聖歌、ディエスイレ「怒りの日」(死)のメロディを絡ませることによって、人間の心の揺れ、弱さ。ドラマチックな世界が展開します。

 

 

 イザイ第6番のソナタはスペインのマニュエル・キロガ(1892-1961)のために書かれました。キロガはキャリアもこれから、という時に交通事故にあい、引退します。ですので、前述二人ほどには高名ではないかもしれません。それでも残された彼の演奏録音を聴くと、スペインらしい華やかな技巧と色に溢れた演奏をしたヴァイオリニストです。

 イザイは灼熱の日差しを思わせるような、眩しく輝く和音とハバネラのリズム、華やかな技巧を用いて、キロガのガリシアの世界を見事に描ききりました。

 


2013.20.Dec 《ブラームスヴァイオリンソナタ全曲演奏会》

  @大阪倶楽部 

ヴァイオリン 中島慎子 ピアノ 加藤洋之



◆ブラームス:ヴァイオリンソナタ第1番

◆ブラームス:ヴァイオリンソナタ第2番


◆シェーンベルグ:ファンタジー

◆ブラームス:ヴァイオリンソナタ第3番




 

その後の人生や運命までをも変えてしまうような出逢いというものがある。ヨハネス・ブラームス【1833.5.7~1897.4.3】は、そういう深く大切な人とのつながりに数多く恵まれた人だ。ロベルト・シューマン(1810~1856)、その夫人クララ(1819~1896)、有名ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒム(1831~1907)はじめ、指揮者、作曲家、詩人、画家などその交流の分野は多彩だ。

 生涯独身で人生を終えたブラームスだが、彼の周りにはいつも老若男女の友人たちがいた。最期、病気で思うようには動けないブラームスを気遣う温かい仲間に囲まれていた。口が悪い、無作法だ、とかちょっとした評判は悪くても、本質は温かで優しくて。率直で誠実な人間だと、認められ愛されていた証拠だと思う。

 

 ベートーヴェンの死後、彼の成した仕事の偉大さにうたれ、楽壇ではバッハ、モーツアルトから続く、それまで担ってきた伝統、「形式」と「精神性」を融合し得る、来るべきその次の人を持つことが難しかった。リヒャルト・ヴァーグナー(1832~1883)は、音楽が自ら形式を生み出すことなんてない。形式が必要な「絶対音楽」など芸術ではない、と言いきった。

 しかし、そこで我らがブラームス。長い熟成の時を経て、その形式までもが自らのインスピレーション、霊感の表れでしかない、といった高次元での融合を成し遂げた。

 ブラームスは作品を何度も書き直し、改変し、また気に入らないものは破棄する、といった咀嚼反芻、熟考に時間をかけた人だ。ブラームスは全部で3曲しかヴァイオリンソナタを残してはいないが、この第1番を書く前に、すでに3曲もの完成されたヴァイオリンソナタ(結局破棄された)があったそうである。

 

 《ヴァイオリンソナタ第1番 作品78 (1879)》「雨の歌」と呼ばれるのは第3楽章の主題にクラウス・グロートの詩につけた歌曲「雨の歌」と「余韻」(作品59の3、4)の旋律が使われていることによる。クララ・シューマンの末息子フェリックス(ブラームスが名付け親で、フェリックス・メンデルスゾーンにちなんで)が結核でこの年2月に24歳で亡くなるのだが、傷心のクララを励ますためにスコアを彼女に送っている。クララはこの曲がとても気に入り、私ほどにこの旋律を歓喜と哀愁に満ちて感じる者はほかにない、と手紙に残している。後にクララが亡くなり埋葬式のあと、このソナタを友人と弾くブラームスは、悲しみのあまり途中で弾き続けることが出来なくなり、庭に走り出たという。二人の間の長い友情を想う。

 《ソナタ第2番(1886)》《ソナタ第3番(1888)》はどちらも夏の避暑地として訪れていたスイスのトゥーンで書かれた。トゥーン湖から碧々と流れるアーレ川の岸辺がお気に入りの風景だった。早起きして自らミルで挽いた珈琲を嗜むのが好きだったという。

 決して多作ではない。しかしいよいよ円熟味増し、豊かな収穫を誇る、ブラームス、人生実りの秋を迎えていた。

 

 

 

アルノルト・シェーンベルク【1874.9.13 ~ 1951.7.13】はウィーンの、ユダヤの家庭に生まれた。幼い頃から作曲に興じていたという。友人たち、中でも青年時代に知り合った作曲家、ツェムリンスキー(1872~1942)との出逢いが大きい。以前はモーツアルトやベートーヴェンなどの古典派、そしてブラームスを愛好していたシェーンベルクだが、ツェムリンスキーの影響でヴァーグナーやリストなどの音楽を知ることとなり、同じく賞賛、愛すところとなる。

 また彼を語る時に、グスタフ・マーラー(1860~1911)の存在を忘れることは出来ない。事があるたび、マーラーはシェーンベルクの精神的、時には経済的にも支えになり励まし続けた。そしてシェーンベルクはマーラーを深く尊敬していた。

 

 シェーンベルクの若い頃の代表作《浄められた夜(1899)》や《グレの歌(1900)》など、黄金に輝く豊潤な雫が滴り落ちるようなロマンチックな世界を知る人ならば、今宵の《ヴァイオリンのためのピアノ伴奏付き幻想曲(1949)》を聞いて驚かれると思う。この削ぎ落した表現世界に行き着くまでに、いったい彼に何が興り、何を見たのか。

 

 音楽の美しさはどこに宿るのか。和声、旋律。音高、音色。

 それを真っ向から突き詰めようとしたのがシェーンベルクだ。

 和声を究め尽くし、調性の飽和状態を知り経たシェーンベルクには、個別の音それぞれに圧倒的な深い背景と、音と音の間にも、もうそれ以上には感じられないほどの強烈なストーリー性、脈絡を感じていたのだと思う。

 

 世紀末のウィーン、ヨーロッパではナショナリズム(民族主義)の気運高まり、ユダヤ人を嫌う反ユダヤ主義、そしてそれに対抗するシオニズム(ユダヤの国、文化を興そうという運動)。両者の不満、摩擦のエネルギーは増すばかりだった。最終的にそれはヒットラーの暴挙へとつながることになる。

 シェーンベルクは24歳の時に、一旦はユダヤ・コミュニティを抜け、プロテスタントに改宗した。しかし今や高名な作曲家、そして洗礼を受けキリスト教に転向したアルノルト・シェーンベルクであっても、高まる反ユダヤ主義運動、人種差別の問題は避けられるものではない。自分の出自、ユダヤ人である、というアイデンティティをより強く自覚することとなり、後にはユダヤ教に復帰する事実がある。

 彼がいわゆる「十二音技法」というセオリーをはっきり確立した時期も、ユダヤ人であるという自覚、そしてユダヤでは「律法」に従って生きることが当然であること。その共通性が指摘されている。

 

 《ヴァイオリンのためのピアノ伴奏付き幻想曲》はまず先にヴァイオリンパートだけが独立して書かれ、そして次にピアノの伴奏パートが作曲された。最晩年の作品の一つで、十二音技法、マーラーの作品からの引用、ウィンナーワルツに、ユダヤの祈り。簡潔ながら彼の人生の全てが詰まっているといって良いだろう。究極の骨組みに集約されているが、名前の通り、ファンタジーに溢れ、真にロマンチックな作品である。

 

2006.11.25. イシハラホール 18:00開演

《中島慎子・加藤洋之 デュオリサイタル》  


◆ドヴォルザーク:ソナチネ 作品100

A.Dvorak SonatineOp.100

1.Allegro risoluto

2.Largetto

3.Scherzo Molto vivace - Trio

4.Finale Allegro molto


◆バルトーク:ソナタ 第2

B.Bartok Deuxieme Sonate

1.Molto moderato

2.Allegro


◆シマノフスキー:神話 作品30

K.Szymanowski Mythes Trois Poemes Op.30

1.La fontaine d'Arethuse (アルテューザの泉)

2.Narcisse(ナルシス)

3.Dryades et Pan(ドリュアスとパン)


◆グリーグ:ソナタ第2

E.Grieg :Sonate Nr.2

1.Lento doloroso - poco Allegro - Allegro vivace

2.Allegretto tranquillo

3.Allegro animato

 





A.ドヴォルジャーク ピアノとヴァイオリンのためのソナチネ 作品100

 ドヴォルジャーク(1841~1904)はチェコを代表する作曲家です。ちょうど民族主義の気運が高まっていた時代に生きた彼の作品には、祖国チェコ的な、スラブ的なものが強く表れています。自身の素朴で温かな人柄がにじみ出るような、親しみやすい旋律と相俟って、彼の作品は生前から世界中の人々に愛されていました。彼は1892年から2年間、NYの音楽院の院長、作曲教授として招かれ、アメリカ合衆国で暮らしました。アメリカ大陸で受けたその強い印象、黒人霊歌など新しい音楽からの刺激、そして日増しに高まる祖国への望郷の念は、交響曲第9番《新世界より》、弦楽四重奏曲《アメリカ》、チェロ協奏曲など、多くの傑作を生み出します。このソナチネ 作品100もその渡米中に書かれたもので、ドヴォルジャークの子どもたちに捧げられました。家族のために書かれたこの作品は、特に愛情とユーモアに溢れたメロディ、リズム、彼ならではのハーモニーに彩られ、まるで昔の8ミリフィルムの映像で、温かで幸せな、どこか懐かしい感じさえする4つの物語(楽章)を見ているよう。第2楽章ラルゲット スラヴ民謡の「ドゥムカ」―(哀歌の部分と楽しい部分が急に交代するのが特徴)の形をとりながらも、アメリカ・インディアンの音楽にも影響を受けたといわれます。第3楽章スケルツォ 陽気な3拍子のダンスが始まり、フィドル(農村などで気取らずに弾かれるヴァイオリン)の響きが聞こえるようです。

B.バルトーク ソナタ第2番

バルトーク(1881~1945)はハンガリーの生んだ20世紀最高の作曲家の一人です。ハンガリー王国のルーツは9世紀ごろ中央アジアを発った遊牧の民、マジャール民族にあります。19世紀末のハンガリーでも民族主義運動が高まっていました。しかしそれ以前のリストやブラームスによって世に広まった「ハンガリー的」な音楽=(イコール)ハンガリーに住んでいたジプシーの音楽、チャールダーシュ、という誤ったイメージ。ジプシーとハンガリー人は同じではないのに。そのことに危機感を抱いたバルトークたちは、真に「ハンガリー的」な音楽を追い求め、その可能性を古いマジャール民謡に見ます。以後、長年にわたって田舎の農村を廻って古い民謡を収集することに情熱を傾けました。そして自分たちの作品によって本当の「ハンガリー音楽」の姿を示そうとしたのです。ソナタ第1番(1921)とこのソナタ第2番(1922)、バルトークの作品の中でも強烈な印象を放つ、ヴァイオリンとピアノのための作品が続けて書かれた背景にはイェーリ・ダラーニという、情熱的で素晴らしい演奏をするハンガリー出身の女性ヴァイオリニストの存在があります。緩と急、2つの楽章で成り立つ構成は、例えばツィゴイネルワイゼンに見られるように典型的なジプシースタイルであるのですが、その形式をとりながらも、マジャールの音階、リズムなどの民謡素材が使われ、全く新しい、前衛的な響きにさえ感じられます。全ての音の存在感が圧倒的で余計なもの、背景が見当たらない。完全な暗闇、真空、無の世界で音だけが全く自由な形態をとって存在しているようです。しかし、その「音」楽は決して無機的な冷たい存在ではなく、息ができないほどに強い生命感を湛えたもののように思います。

K.シマノフスキー 神話  作品30 

シマノフスキー(1882~1937)はポーランドの作曲家です。3つの有名なギリシア神話を題材に、豊かな自然の色彩や表情から、登場人物たちの行動、深い心の世界まで、対象を音によって描写、表現しようと試みています。当時の彼の作風は、ポーランドの民俗性を前面に出したものではなく、世紀末のウィーンやフランスの印象派、ドイツのロマン派などあらゆる手法を取り込みつつ、しかも独創的なものになっていて、幻想的な感性の世界が展開します。

1.アレトゥーザの泉 女神アルテミスに仕えるアレトゥーザが河で水浴びをしていると、その美貌に心奪われた河の神アルフェイオスが彼女に迫ります。逃げるアレトゥーザ。追い詰められそうなその時、女神アルテミスが彼女を泉の姿に変えてやります。

2.ナルシス ナルシスはとても美しい少年で、しかし彼に恋をしたニンフ(精霊)に冷たい仕打ちをしたせいで、ただ自分だけを愛するようになるとの呪いがかけられています。ある時、池をのぞいた彼は、水の中の世界に、今まで見たこともないような美しい姿を見ます。自分が手を上げれば、水の中の彼も手をあげ、首をかしげれば、同じように首をかしげる。ナルシスは水の中に映る少年が自分だと気付かずに恋に落ちます。水面から離れることが出来なくなったナルシス。憔悴しきった彼を水仙の姿に変えてやった、という伝説があります。水仙の学名はNarcissusです。水のほとりで水仙の花が風に揺れています。

3.ドリアーデとパン パンは上半身が毛深い人間、下半身がヤギ、額に角がある神さまで、よくニンフや美少年を追い駆けまわします。それに昼寝が大好きで、その眠りを妨げると石を投げたりしてパニックを引き起こさせました(パニックの語源はパンの神さまから)。パンの神さまが以前シュリンクスというニンフを追いかけたとき、シュリンクスは川辺の葦に姿を変え、逃げるようとするのですが、その葦を並べて作った笛をパンは持ち歩き、吹くのがお気に入りでした。この話では、パンは樫の精霊であるドリアーデに恋をし、追いかけるのですが、その葦の笛で愛のメロディを奏でるシーンもあります。ドリアーデはいつも捉えようとするパンからするりと逃げてしまいます。

E.グリーグ ソナタ第2番 作品13 

グリーグ(1843~1907)はノルウェーのベルゲン生まれ。祖国の民族音楽から深い影響を受けつつ、ノルウェーにおける国民音楽の基礎を築きあげた作曲家です。彼の代表作ではオーケストラのための「ペールギュント組曲」やピアノ協奏曲が特に有名ですが、ヴァイオリンソナタも3曲残しています。しかし、この第2番のソナタはなかなか演奏されることが少ない作品です。1867年、グリーグが24歳、まだ若い時代に書かれたこともあって、爽やかで清々しく、真っ直ぐな情熱に溢れた作品です。第1楽章 レント ドロローソ で始まります。レントはゆっくり、ドロローソは苦痛、悲嘆の意味。また冒頭のヴァイオリンソロの部分に strepitoso(ストレピトーソ) 喧騒、騒がしい、叫び声、わめき声、という意味の楽語指定が付いています。木の上に雪が降り積もっていて、太い枝がぎいぎい軋んでたわみ、ついに重みに耐え切れなくなって、雪がザザーッと地面にすべり落ちるような情景が思い浮かびます。地面の上の霜柱をしゃりしゃり踏んだり、雪解けの、澄んだ冷たい水が少しずつ流れ始めたり、まるで北欧・ノルウェーの豊かな自然の中に息するよう。早春に自然のあらゆるものが目覚める様子、それを通して人間を含む世の中全ての生命への賛歌が謳われているようです。


2005.12.2.  東京・葛飾シンフォニーヒルズ アイリスホール 

2005.12.15. 神戸・松方ホール   

《中島慎子ヴァイオリンリサイタル》  ピアノ:加藤洋之

◆クライスラー  : ジターナ(ジプシーの女)

ジプシー綺想曲

中国の太鼓

ウィーン綺想曲

プレリュードとアレグロ(プニヤーニの形式による)

スペイン舞曲(グラナドス=クライスラー) 

ロマンティックな子守唄

道化役者

スペイン舞曲(ファリャ=クライスラー)


◆ウェーベルン :4つの小品


◆リヒャルト・シュトラウス :ソナタ 



◆クライスラー:タンゴ(アルベニス=クライスラー)

        シンコペーション

        美しきロスマリン




ウィーンで生まれ、20世紀前半を代表する名ヴァイオリニストとして世界中で活躍したフリッツ・クライスラー(1875~1962)は、彼が知り尽した楽器、ヴァイオリンの魅力を存分に発揮する数々の名曲を生み出しました。ラ・ジターナ(ジプシーの女)-18世紀のアラブ系スペイン人のジプシーの歌と副題が付いています。誇り高く、自由で、そして時にはこの世を憂いでみたり、また逆に笑い飛ばしてみたり…と表情豊かで逞しく生きる女性の歌。ジプシー綺想曲 ジプシーとはヨーロッパに散在する漂泊の民族のこと。心の赴くまま、誰からも何からも束縛されない《自由》を、語っているかのように魅せる。中国の太鼓 サンフランシスコの中華街の印象から作曲されたといいます。明るく大勢の人で賑わう街の様子、エキゾチックな雰囲気が目に浮かぶようです。ウィーン綺想曲 華やかなようでいてどこか寂しさが漂い、洗練されているようでいて、しかし非常に素朴でもある。故郷ウィーンを愛するクライスラーの眼差しを感じます。プレリュードとアレグロ(プニヤーニの形式による) クライスラーは《古典作品集》(クライスラー編)と題し、プニヤーニ、マルティーニ、クープランなど17、18世紀に活躍した作曲家の名を借りて数多くの作品を出版した事があります。彼の60歳の誕生日を機にそれらが実は南フランスの修道院で発見されたものではなく、クライスラー自身がそれぞれの作曲家のスタイル風に書き上げた自作であったと告白するのですが。スペイン舞曲(グラナドス) ピアノで奏せられるリズムがスペインの民族舞踊、フラメンコの背景で刻まれる手拍子のよう。乾いた哀愁が漂うメロディ。ロマンティックな子守唄 まるで万華鏡を覗いているかのように、優しく、夢見心地に、次々に表情を変える音の色彩。道化役者 滑稽な仕草で観る人を幻想世界に誘うピエロ。鮮やかな夢の世界はシャボン玉の泡のように消えてしまう。スペイン舞曲(ファリャ) アンダルシア地方の悲恋の物語に基づいたファリャ作の歌劇「はかなき人生」より。我が身に次々に降りかかる困難を乗り越えて生きていこうとする強さ、潔さ、あきらめ、そして情熱。

アントン・ウェーベルン(1883~1945)はその師シェーンベルク、盟友ベルクと共に、無調の世界、後に「12音技法」へと、つまり私たちが簡単に「現代音楽」と呼ぶ、20世紀の音世界への扉を開いた作曲家です。この 4つの小品 ヴァイオリンとピアノのための 作品7 は彼の比較的初期の作品で、第1楽章 とてもゆっくり 第2楽章 迅速な 第3楽章 とてもゆっくり 第4楽章 うごく から成っていて、それぞれの楽章はとても短く、順にたった9、24、14、15小節で構成されています。美術の細密画に準えられ「ミニアチュール」と呼ばれる、このまるで小宇宙では音の高低、長短、強弱、速度、音色、表情、音に関するあらゆる表現が緻密なバランスの上に存在し、互いに作用し合っています。深層心理世界を旅するように、出会う人や出来事に少なからず影響されて進んでいく人生、時の流れを凝縮した異次元の世界。

名ホルン奏者であった父を持つリヒャルト・シュトラウス(1864~1949)は幼少の頃より恵まれた音楽環境の下、優れた英才教育を受け、早熟の10代で作曲家として活躍を始めました。また20歳の頃より公の場で指揮をする立場にあったことは、オーケストラを熟知する上での確かな土壌となって、作曲の対象が最初は主に室内楽など小さな編成だったものが、次第に大編成のオーケストラを全く自由自在に活用した作風、優れた交響詩や歌劇、バレエ音楽を数多く生み出した背景へと続きます。ヴァイオリンソナタ 作品18 は、リヒャルトがまだ23歳だった頃の作品ですが、キラキラと輝く光、恍惚感にも似た空気の中で華麗で軽やかに、彼の「歌」が目くるめくよう鮮やかに展開していきます。後の作品「ドン・ファン(1888)」や「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら(1895)」「ばらの騎士(1910)」などのホルンをはじめ、オーケストラの響き、オペラの歌声が聴こえてくるような錯覚を覚えるほど、そこにはもうしっかりと彼の世界が在るのです。第2楽章はインプロヴィゼーションの形式をとり、楽想の趣くまま自由に、温かさに溢れた歌のドラマを観るようです。さて、この第2楽章の最後のピアノパートには皆さまが良く御存知の、あの作曲家の、かの名曲のフレーズが一瞬現れるのですが、それはイッタイ?





2004.11.20. いずみホール 開演18:30            

《中島慎子ヴァイオリンリサイタル》    ピアノ:加藤洋之




◆プロコフィエフ:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 第1番 ヘ短調 作品80

S.Prokofiev : Sonata for Violin and Piano No.1 in F minor Op.80



◆チャイコフスキー:憂鬱なセレナーデ 作品26

P.I.Tchaikovsky : Serenade merancolique Op.26


◆チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォ 作品34

P.I.Tchaikofsky:Valse scherzo Op.34



◆ショーソン:詩曲 作品25

E.Chausson:Poeme Op.25


◆フランク:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ イ長調


& アンコール


◆メシアン この世の終わりの四重奏曲より 第8楽章 《Louange a I'Immortalite de Jesus


◆チャイコフスキー 懐かしい故郷の思い出より メロディ






今夜のプログラムでは一つ一つの曲が持つ世界をそれぞれに楽しんでいただくのはもちろんのこと、その一つの世界が次へ、またその次へとつながって、まるでオペラか音楽劇のように、全体を通して大きなドラマの流れを楽しんでいただけたらと願っています。

重く、暗くて寒い世界から雪の舞い落ちるような幻想的な情景へ、そして登場する人間の情熱、最後には精神が高みを望み、まるで魂が浄化されていくようなイメージの物語です。

音楽は『音を楽しむ』と表しますが、決して幸せで楽しい時ばかりに書かれた作品のみが音楽なのではなく、たとえ自身がどんな厳しい苦境にあっても、希望や情熱を音に託して、何かを表現しようとした、そうせざるを得なかった作曲家、演奏家の使命感や愛の大きさを想う時、楽譜に表された一つ一つの表現は、彼らの思いの深さを受け、より真剣でより重みを持って現れます。

ロシア革命時の混乱を嫌い、国外に亡命していたプロコフィエフは1933年ソヴィエトに帰国します。彼を待っていたのはスターリンによる独裁・粛清がますます強化した祖国。そしてまもなく世界は第2次世界大戦を迎えます。このような暗い時代背景の中、ヴァイオリンソナタ第一番 ヘ短調 作品80は8年もの歳月(1938~1946)をかけて生み出されました。第1楽章 3拍子と4拍子が不規則に交互する不安定さと重苦しい音域が、底のない深淵を覗き込むような不安を呼び起こします。時折現れる熱情の断片、そして虚無と美と冷気。第2楽章 荒々しく、リズミカルな掛け合いがかなり支配的に曲を推進します。立ちのぼる一瞬の不安。それを打ち消すは、更に誰にも止める事のできない狂気へと変貌していきます。第3楽章 場面は一転し、湖の情景が広がります。澄んだ水面に映る美しい自然、広がる波紋、小さな水の流れ。鳥。第4楽章 5/8・7/8・8/8と拍子をめまぐるしく変えながら、時は進みます。親しみやすいロシア民謡風のメロディを挟みながらも、無情に狂気の渦に飲み込まれ、最後は冷たい風が吹きつける中、静かに幕を下ろします。

時代を少し遡(さかのぼ)る19世紀のロシアを代表する作曲家としてまず名前が挙がるのはチャイコフスキーでしょう。優美で、時にロシア的で、少し悲劇的な色さえ帯びたメロディは私達を魅了し、ロマンチックな世界へと誘(いざな)います。

憂鬱なセレナーデ 足取りが重く、憂鬱な(!)3拍子にのせて、ふと垣間見える希望、幸せな夢の世界。《マッチ売りの少女》のストーリーさながら、幻想は何度も現れては、はかなくも消えてしまいます。空を見上げるとゆっくりと雪が舞い落ちてくるような美しい場面(シーン)を想います。

ワルツ・スケルツォ 雪の女王が長いドレスの裾を優雅に捌きながら踊る円舞曲(ワルツ)。華やかにフィナーレを迎えます。

この作品が書かれた1877年、チャイコフスキーは代表作でもある悲恋のオペラ《エウゲニー・オネーギン》や交響曲第4番に着手しています。実生活では不幸な結婚を試み、自殺を図るほどに傷付いたという出来事もありました。

ショーソンはフランス・パリで生まれ、後にセザール・フランクに師事した作曲家です。詩曲(ポエム)は当時の大ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイのために書かれました。神秘的な序奏に始まり、次第に姿を現す熱情。ためらいや動揺、あきらめなどを孕みながらも、抑えられない情熱の波は高まり、遂に心の内の全てを曝してしまいます。そしてまたゆっくりと心の森に帰ってゆくのです。

フランク ヴァイオリンソナタ イ長調 オペラなど華やかで軽い音楽が主流だった19世紀後半のヨーロッパにありながら、フランクは教会のオルガン奏者として生計を立てつつ、自身の内なる声をひたすら追い求め、虚飾のない、深い精神性をたたえる独自の音楽世界を創り上げた大作曲家です。こちらも同じくベルギー生まれのヴァイオリニスト、イザイの結婚のお祝いとして捧げられたソナタで、フランクの全作品の中でも傑作の一つとも数えられています。64歳の時に書かれました。第1楽章 dolce(甘く、優しく)という楽語が散りばめられ、どこか夢見ごこちな旋律は、次第に熱を帯び高揚する。第2楽章 激しい情熱を貫きながらも、広がりと優しさを併せ持つ楽章。第3楽章 レチタティーヴォ・ファンタジア(幻想的に詠唱する)と副題がついています。一面に広がる星空の下、天を仰いで切々と祈りを捧げるような情景を想います。第4楽章 ピアノとヴァイオリンの旋律が追いかけたり追いかけられたりしながら、次第に明るく輝かしい光の中へ浄化されていきます。幸福感のある美しい世界へと。






2004.2.19.  大阪市中央公会堂 19:00開演

《中島慎子ヴァイオリンリサイタル》 ピアノ:加藤洋之



◆モーツアルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 kv.303

W.A.Mozart: Sonate fur Klavier und Violine C-dur Kv303

AdagioMolto allegro

Tempo di Minuetto


◆モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ホ短調 kv.304

W.A.Mozart:Sonate fur Klavier und Violine e-moll Kv304

Allegro

Ⅱ Tempo di Minuetto


◆シューベルト:ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 ハ長調 D.934

F.Schubert:Fantasie fur Violine und Klavier C-dur  D934 - Op.post.159

Andante molto - Allegretto Andantino ThemaVariation14〕 -Allegro vivace AllegrettoPresto



◆シューマン:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ニ短調 作品121

R.Schumann:Sonate fur Violine und Klevier d-moll Op.121

Zimlich langsam[かなり ゆっくりと]-Lebhaft[生き生きとした]

Sehr lebhaft[とても生き生きと]

Leise,einfach[静かな、素朴な]

Bewegt[動く]

 

 



モーツアルト: ソナタ ハ長調 Kv303

天才少年作曲家として、幼い頃にヨーロッパ各地で華々しいデビューを飾ったモーツアルトですが、故郷ザルツブルグは成長した彼の≪天才≫を活かすにはあまりにも小さすぎる街でした。次第に大司教に仕える宮廷音楽家としての職務、召使同然に扱われる立場に不満を覚えるようになります。このソナタが書かれた前年、1777年秋より、モーツアルトは母アンナ・マリアと共に、新天地、新しい雇い主を求めて出発します。このソナタは旅先のマンハイムの地で作曲されました。モーツアルトの作品に接する時、まるで青空の上の、白い雲を舞台にした劇場で、モーツアルトのオペラ作品の登場人物がアリアを歌ったり、あたかも天使が楽器を奏でているような(トリルが天使の羽音のように聞こえません?)美しい世界を想像します。無邪気で幸福で、この世のものではない、天上の世界を。

モーツアルト: ソナタ ホ短調 Kv304

モーツアルトの就職を目的とした旅行は、マンハイム(先のKv303を作曲した地)から当時も文化の中心と謳(うた)われていたパリへと続きます。しかし、この長い旅、異郷での慣れない生活がこたえたのか、パリの地で母アンナ・マリアが重病に倒れ、還らぬ人となってしまいます。数多くのピアノとヴァイオリンのためのソナタを作曲したモーツアルトですが、短調のソナタはこのKv304のみです。母を失った悲しみと諦め、そして祈りが色濃く表現されています。Kv303と同じ2つの楽章構成で、メヌエット形式の第2楽章をもちながら、雰囲気を全く異にする作品です。

シューベルト:幻想曲【ファンタジー】ハ長調 D-934

楽想のおもむくままに、また全楽章が切れ間なく続いていく自由な形式をとることから、ソナタではなくファンタジーとの名がついています。また、それはこの曲のもつ夢想的な雰囲気からでもあるでしょう。シューベルト1827年の冬に書かれました。翌年1828年の11月に31歳の若さで永眠した事実を考えると、晩年の作品にあたります。ファンタジー(幻想)とはいえ、ただ空想世界をふわふわと幸せに漂うのではなく、まるで現実と、そうではない世界との間を方々へ彷徨(さまよ)い歩く、人間の歌のように思います。悩める主人公は、最初のハ長調からその後色々な調性へと旅を続け、そして最後にまたハ長調へと還ってきます。中心に置かれた自作のドイツ歌曲≪ようこそ こんにちは≫Op.20-1 からの健康的な主題と変奏が印象的です。

シューマン: ソナタ ニ短調  Op.12

シューマンは1851年秋、ヴァイオリンとピアノのためのソナタを相次いで2つ作曲します。特に第2番であるこのOp.121はそれぞれ両者のパートが複雑に、緻密にからみあった内容です。シューマン自身が一時はピアニストを目指したこともあり、創作の発想がピアノ的であることは否めません。この作品のヴァイオリンパートはG線から、大まかな最高音はE線のファーストポジションのシ♭の音までという、狭い音域で書かれています(ピアノの鍵盤に直すと、目の前40㎝弱)。シューマンは年若い頃からその兆候を見せていた精神錯乱が激しくなり、ついにはライン川に投身自殺を図ります(1954年)。単にロマンチックというのではなく、あたかも彼の心の〈孤独〉という暗闇に、色鮮やかな妄想、幻想、熱情の大輪の花々が咲き乱れるような印象の作風です。第2楽章の鳴り止まない八分音符のリズム♪♪♪が、常に何かに追い詰められているような切迫した精神状態を想わせ、第3楽章のあまりに美しいテーマのメロディが、賛美歌から引用されたものであることに痛みを覚えます。

 


2002.10.13.  いずみホール 開演1800

《中島慎子ヴァイオリンリサイタル》 ピアノ:加藤洋之



◆シューベルト:ピアノとヴァイオリンのための二重奏曲(ソナタ) イ長調

F.Schubertsonate in A-Dur Opus posth162 /574


◆ブラームス:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ Nr.2 イ長調

J.Brahmssonate in A-Dur Opus100



◆ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ Nr.9 イ長調 【クロイツェルソナタ】

..Beethovensonate Nr.9 (Kreutzer-Sonate) in A-Dur Opus 47







シューベルト 二重奏曲(ソナタ) イ長調 D574 作品162

 シューベルト20歳の作品です。シューベルトは、よく家族や友人からなる親しい、ごく小さな集まりの楽しみのために作曲をしました。そこには、声を張って万人に訴えかける強さや派手さとは別のもの、そっと大切な自分の心の奥を開いて思いを語りかけるような、自然な美しさがあります。また“魔王”や“美しい水車小屋の娘”“冬の旅”など数多くの名曲で知られるように、シューベルトと歌は、切り離して考えられません。私はいつもアンデルセン童話の“よなきうぐいす(ナイチンゲール)”を想います。宝石で飾られたこしらえもののよなきうぐいすではなく、小さい灰色の、ほんとのよなきうぐいすのように、素直に自分の歌がうたえたら、と思うのです。

ブラームス ヴァイオリンソナタ第2番  イ長調  作品100

ブラームスは、1886年から3年間、毎夏をスイス・トゥーン湖畔で過ごしました。この作品はその地で書かれたものです。もう血気盛んな若者ではなく、すでに53歳ではありましたが、恋愛を楽しみ、多くの新しい友人を作ったり、旧友を招いたりと、明るく幸福な日々であったのでしょう。クララ・シューマンとの恋は実らず、他の女性とも結婚することなく一生を終えたブラームスですが、特にクララとは、その後も生涯にわたって友情を育んだように、彼の音楽には決して他人を拒絶する冷たい厳しさは無く、むしろ他人に訴えかける情熱と優しさ、そして同時に自分に対して誠実であろうとする少しの孤独を感じます。ブラームスの自己批判は厳しく、発表せずに破棄された曲も数多いのですが、その彼が、きりのいい100という番号を冠するのですから、(人間の心理的なものを推測するに)自身にとってもかなり充実した作品だったのではないでしょうか。全三楽章にわたり、暖かでのびやかな旋律が印象的です。

ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ第9番 イ長調 作品47 “クロイツェル Kreutzer”

ベートーヴェンの作品に向かうとき、― そしてそれが晩年のものに近づくほど ― 私はその音楽に、他のものが一切入り込む余地のない、徹底した意志の力を感じます。全ての音が完全に彼の強固な自意識のもとで支配されているのです。もともとのベートーヴェン自身の性格もあることでしょうが、耳が聴こえないという事により、彼の中で鳴り響く音楽は、心の叫びとして、誰にも、何によっても止める事ができないほど、より深く意味を持ち、真剣さ、激しさを増したのではと想像するのです。

この作品は、1802-03年、ベートーヴェンが32歳の時に書かれました。失恋や耳の病気のために、深く傷つき、危うく命まで絶とうとした彼が、ただ自分の信じる芸術の完成を目指して、力強く立ち上がり、以前よりも豊富な創作活動を始めた時期にあたります。

― ほとんど協奏曲のように、きわめて協奏的スタイルで書かれた、ヴァイオリン助奏を持つピアノのためのソナタ ― と出版に際し、このような言葉をベートーヴェン自身が付け加えたように、ピアノもヴァイオリンもほとんど一歩も退くということのない、押して前進あるのみといった観です。3楽章形式で、特に第2楽章は美しく安らかな主題と、4つの変奏曲から成っています。