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言葉

ここには自分の忌憚ない心内を書いてきたつもりだけど、最近筆が止まっている。
元々自分の事は、性格が特に良いわけでもないけど、特に悪くもないだろうと思っている。

最近、そりゃそうしてたらそうなりますよね、そりやそうだ、と原因と結果が直結してるのが判りやすいというか、自明の理。
辛辣な意見しか出てこない。

この内容を素直に書くと色んな方面に傷付く人を多量生産してしまいそうなのでやめている。

まあ、誰も読んでもないと思うけれども。


人は見た目とか(髪型とか洋服とか化粧とか全部)である程度自分の個性を表現している。
職業とか話し方も含め全部。ぜ〜んぶ。
自分で選べるもの、環境で授かったものもあるかもしれないけれど、ちいちゃな、すごく些細な選択の連続の上に個性は成り立っている。


音楽は目には見えないものを扱うから
人間表現そのもの。
もっともっと空気よりも軽い、光の粒子とかあるか無いかわからないような軽い表現の選択の連続で成り立っている。


素人だから、とか
初心者だからワカラナイんだよね、、
まだ若いから云々、
というのは、果たして正解であるのかどうか。


言葉よりもずっと軽いものを、言葉にして言わせてる、という段階で
正直もうダイブンと禁の線をドシドシ踏み越している。


ハッキリとワカラナイものであっても、
なんかそこに大事なものがあるんだろうな、とか
勘。直感。感性は必要。

ワカラナイものに出逢った時の姿勢に
感性は出る。

ワカラナイというのは助けを呼ぶ言葉でもあるけれども、開き直る拒絶の言葉にも成りうる。こわい。

私もワカラナイ人を完全拒否するわけではなく。

ヒントはおくけれども
ワカルというのは自分で発見するしかないから。

言ってみるような、言わないような。


ワカラーン。

注: わたしのワカランは
今は未だはっきり結論でないなぁ。もうしばらく様子みましょか、保留の意。