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semplice

沖島の印象を言葉にしたいけれども、
なかなか難しい。
自分が今まで慣れ親しんできた文化とは、ある意味対極にあるといってもいいかもしれない。
それは、私が西洋音楽を学んでいるからかもしれないし、現代の知識に影響されているから、かも。
知らず知らずのうちに身に付いていた感じ方、考え方が「濃ゆい」ものなら、
沖島の人や自然のそれは、どこまでも「淡く」、しかし無くはない。
「在る」のだけれども「淡い」の極めたものなのだ。
水の味に象徴されていると思う。
各地を旅することもあって、信州の山の湧水や、高野山の湧水、色々な水の味とはまるで異なる、
「素」としかいえない水の味。
本当に吃驚しました。

どこまでも軽く、薄くしても、
無くなることはないな、みたいなインスピレーションが降ってきたので
また楽器の顎当ての調整を大きく変えてみた。
失敗して元々。
で、良いかもしれない。
今、持ってると自分で思えるもの、を全部捨てても別にオオゴトでもないな、みたいな自由さ。
枠を決めてるのは自分でしかない。
そこを踏み出すのは、意外と簡単なんですけど、
以前それが出来なかった自分の硬さ、みたいなものが他人事のように見えて、、もう古い。

全然違うことをまた考え始めるのかもしれません。