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Prayer

Pさま
頂いたメールのご様子から判断するに、、
返信メールを差し上げるにも言い争うつもりはまるでなく、かと言って個人的メールでは逆に差し障りのない事しか書けそうもなく、、なかなか私の真意や感覚を伝えるのは難しいと思うので、広くここに思うことを書いてみたいとおもいます。
 
まず、御心配頂いたように不快にはなりませんでした。しかし、個々の意見に反論する気も全く起こりません。
般若心経ではありませんが、
ひとは自分の見たいものを見、聞きたいものを聞き、読みたいものをそこに読むのだと思います。
ですので、Pさんが気になる、と憤慨なさっている点は、私には全然気にもなりませんでした。
まあ、私がPさんよりもずっとずっと適当に生きているせいでしょう。
 
御本を薦めるにあたって、スピリチュアルな世界と宗教の世界の間には大きな段差があるのでは、というようなことを書いたと思いますが、
やはりその姿勢の違いが、本とヨガナンダ師に対する、私とPさんの受けた印象の違いに大きく影響していると思いました。
 
私は、見えないものの世界、もちろん音楽はその最たるものですが、
神社やパワースポット、石やアロマオイルなど、いわゆるスピリチュアルの入口とされる世界も大好きです。
でも、スピリチュアルが好きだから、それらが好き、というわけではありません。
私にとってはそういった世界は勉強するものではなく、全て自分が体感、納得出来るものでしかありえません。
 
これは何か特定の宗教の定義で、というわけではありませんが、
わたしは誰かに
あなたは神を信じますか?
と問われたら、
迷わずはい、と答えるでしょう。
 
なぜ、神の存在を信じられるのか?
と訊かれるならば
もし神が存在しないのならば、こんなに地球が、宇宙が、美しいエネルギーで満ちているはずがないから、と答えるでしょう。
 
同時に、私にとってヨガナンダ師は、この方は真実の言葉しか話さない人だ、と心から信頼してその心を預けている存在なので、師が仰るのならばそうなのであろう、と神とイエスの存在を信じる後押しとなり、ババジや他の聖人の存在も素直に信じています。
 
 
ですので、講話に矛盾があっても、Pさんのように、それは真実ではないじゃないか!と思うことはなく、師が本当に仰りたいことの真意は何なんだろうか?と思うだけで、矛盾に対する嫌悪や、受け容れられない、という選択肢が先ず湧いてこないのです。
 
Pさんを批難しているわけでも否定するわけでもありません。討論する気も起きないのです。
Pさんにはヨガナンダ師が合わなかった、ということではないでしょうか。
 
いやいや、、
真実でないのが紛れているのならば、(私が)信じているのはおかしいではないか、目を覚ませ、と仰りたいのかもしれませんが。。
 
 
が、真実とは何でしょうか。
いくつもの多角的な正解。事実を重ね合わせて、遥か遠くから眺めてこそ、見えるものなのかも。
 
凡人の私には無理です。
せめて、私は、わたしが信頼する先達の師に眼を、知恵を、力をお借りするほかない。
そのような心持ちです。
あえて一言庇わせて頂くなら、
本は講演を書き起こした講話集であり、ヨガナンダ師であれども、話で人々の注意や興味をひくには、当時目の前の聴衆のレヴェルに毎度合わせなければならざるを得なかったであろう、という点と
ヨガナンダ師も人間として生を受けたのであれば、時代の情報に影響を受けながら最期まで進化道中であったのでは、というところ。



私の例で喩えるのはおこがましいですけれど、
生徒さんが同じ箇所を同じ様に弾いた時に、
そこが大きい(音量が)という注意と
そこが小さい(イメージする場が)など、
相反する意見が同時にいくつも存在し得る、という。矛盾はいつものこと。


的外れな返信かもしれませんが、
これが私の今の正直な気持ちです。