飢えた経験の無い人には、飢えている人の気持ちは本当には分からない。
しかし、痛みや苦しみ、焦り、哀しみ、恥ずかしさなど、これまで味わった経験のあるマイナスの感情を思い起こし、混ぜ合わせ、
たぶんこういう心持ちに違いない、と心を寄せることは出来る。
一見、味わうことが無い方が幸せと思える負の感情群でも、想像力や共感性を高めるには非常に重要な体感なのだ。
マイナスの経験もプラスになり得るのだ、と感動を覚える。
負の経験なぞ、その感覚が癖になり抜け出せなくなる、と不安に思う人もいるだろう。
しかし無知と無心は異なる。
特にクラシックの分野では、他者(作曲家)が残した白黒の楽譜から、時間も空間をも超えて立体的な音の世界を創造する。
それは音の高低や強弱をただ並べるだけでは充分でなく、成り立たない。
音楽を言葉で説明するのを試みるのは無謀な挑戦なのだが、、、
楽譜から音それぞれのエネルギーとその関連性を読み解き、それを再現する行為だ。
それは天命のように有無を言わせない場面転換であったり、感情のように少々重いものを背負った物語風のこともあれば、ほとんどはそれよりももっと軽い感覚、光の煌めきや風の揺らぎを再現するような超微細な動きであることも多い。
人間の枠に留まった共感性ではなく、宇宙や世界、心を馳せることの出来る存在すべてへの共感、想像力が問われているのだ。
感「動」とは何が動くのだろうか。
何かを動かさなければ、人には伝わらない。
まず、自分の中の何かが動いていることに気付かなければ、そこに人の共感性を呼ぶポイントがあるのに素通りだ。
音楽とはそのポイントを繋いだ連続した時間であるのだけれども。
掴めなくて苦しい思いもまた、
きっとプラスに転じて有効利用出来る時はやって来る。
がんばって!!!
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