チャリティーだから、というだけでは無いとは思うけれども、お金というものが絡んでくるのか、こないのか。この行為のそういう繊細な一面が人をどこかで強く刺激するのか、人の思わぬ反応を見たりして、世の中には本当にいろんな人がいるんだなあ、と思う。
もちろん好意的な方々や、共感して動いて下さる方々はとても多くて、幸せな気分で満たされる機会や、素敵な方に出逢う機会も増えました。
感動と感謝の気持ちでいっぱいです。
逆に「こんなこと、チャリティーなんてやってたらあかん。かわいそうに、、」と目の前でボロボロ泣かれた時には、チャリティーの何が可哀想なのか理解出来なかったけれども、ああ、この人は仕事とか、世間体というものに対して、何かそういう重いものを背負って生きてはるんだなぁ、と思ったり。
自分ではチャリティーや後輩を教えることなど、まだ動き出しはじめではあるけれど、けっこう自分の好きなことだけをして生きていると思っている。が、
人間関係のしがらみに巻き込まれて大変だねえ、とか、御自身が被っているらしき重いものを私にもムリに着せようとする人もいる。
そういうのは、本当に要らない。
私も含め、人は自分のかけたメガネでしか世の中を見ることは出来ない。
みんな色々大変なんだな。
私の前世は中央アジアの方で踊り子の様なことをしていた、と以前、不思議な過去を読んでくれた人がいたことを書いたけれども、その時面白いことも言われました。
当時から、男の人のことを、けーっ、、って思って見てたらしい。権威とか、そういうのを着る男性を馬鹿じゃないか、と信用していなかったとか。当たっているかも、と大笑いしました。
勘違いの男性陣をまったく相手にしていないので、男尊女卑とかいう、差別があることすらも気にならず、だから腹が立たないのだとか。
以前、わたしがある場所で、お茶を淹れるという行為を手伝ったことで、ある女性に叱られたことがあります。「あなたみたいな女性がいるから、女にお茶汲みしてもらって当たり前だ、みたいな勘違いをする男性が出てくるんだ!」と。でも、わたしは、もしあの場所が全員女性だけのメンバーであったとしても、自分はやはり率先してお茶を淹れていたと思う!と言うと、彼女は不満そうだった。
そんな温厚なわたくしが、最近猛烈に腹が立てていることがあります。
私に直接ではないですが、生徒さんに
「この曲は元気な男の子なら似合うけれども、あなたには似合わないんじゃない」
と言われたと。
音楽に性別を持ち込むとは、何事か、と思う。
それを発言したのが、同じ女性であるということにも、余計腹がたってます。
自分が弾けないのを、他人に転嫁するのは情けない。
また、それを年端のいかない、大人を信じる女の子に発言するとは。
神経を疑う。ありえない。
今日は国際ガールズ・デー。
自分らしく。
世の中に腹をたてるのは、第3チャクラ、お腹の筋肉が座って?立って?きたからだと思ってます。
万歳☆
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