これが流れというものなのか、やるしかない!やります、と心を決めてから尋常ならぬスピードで世の動きに巻き込まれているように思う。
結局は自分の心持ち次第がすべて、事象の原因になっているのかもしれない。
昨年後半から特に春、教えるべき生徒さんがすごい勢いで増えた。
人は一人一人、その人でしか出来ない生き方、問題を超えて成長をする過程にあるのだから
個性の差はあれど、何の問題もなく簡単に生きていける人など誰一人いない。
先立つ者として、それぞれの個性に寄り添って、進む道の先の大きな世界を指し示すことぐらいしか出来ないが
若い才能はキラキラしていて、未来がとても楽しみだ。
身体を統御する技術を覚え、呼吸を操り、(まるでヨガの行のようだけれども)
心。それも表面的な感情レベルではなくて、思想や精神も超えた魂とかスピリットと言われるものに触れるような。
その奥深い魂の扉を本番の舞台の上で開くことができるか、否か。
そこが自分の演奏をする醍醐味でもあるけれども、精神的にギリギリの縁を歩かなければ、そこには辿り着かないことに最近気づいた。
怖いのは当たり前なのだ、と思う。
「怖さ」というのは自分が本当に好きな人に「I LOVE YOU」を初めて言う時の怖さに似ている。完全にそうでない、とは思わないけれども、拒絶されないとも限らない。毎回毎回、その怖さを味わっている。
「怖い」というのは、私が演奏家に向いていないからだ、才能がない、と考えてしまうことがあったけれども、
私がバッハの音楽を覚えているのは、譜面からではない。リズムでも音高からでもない。
生徒さんに見本を見せようとしてちゃちゃっと弾こうとした時、まるで弾けなくてびっくりした。
週末同じ曲で本番なのに、そんな音楽、弓の方向?音程?知らんで、、、という事になっていて自分でも呆れた。
もっと深い身体への振動とか、その滲み具合で私の中に入っている。その奥深いところから出してこない限り、私の弾きたい音楽は成り立たないんだ、と体感した時に腑に落ちた。
姿勢も精神的にも完成するところはまだまだ遠いけれども
少なくとも怖い、というところから逃げないという決意と覚悟は出来た。
与えられたチャンスに感謝して毎回挑戦していきたい。
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