岸和田でのバッハのパルティータのコンサート、昨日終わりました。
このホームページを御覧になって、コンサートを知った、来たよ!っていう懐かしい方も数人いらして、
ホームページ、書いてみるもんだなぁ、と思う。ふふふ
遠くまで集まって下さって、ありがとうございました。
そして、私にとっては、新しい旅に踏み出してた。踏み出したことを確認するようなコンサートでした。
昨年から、色んなことがあって、モノの観方がどんどん変化しているけれども
そのスピードに、我ながら、体力は半分ぐらいしか付いていってない気もするけれど(あはは)
たぶん、扉を開けてしまったなら、進むっきゃない。(のか?と躊躇する気持ちはまだくすぶっている。グダグダしたナマケモノのじぶんもいる)
演奏前に、高校時代の恩師から『演奏会に行くよ。思い切った演奏を期待してます』という内容のメールをもらった。
思い切った、って、先生、旧いなぁ。もう、自分の感情、気持ちとは別の所に演奏はあるんやで・・と一瞬考えたけれども、
「思い切る」という言葉は、思いを、断ち切る、ということか。
なるほど、深い言葉だな、と思い至った。
個人の情や思い、を超えた所に、芸術の美は存在する。
凄いな、素敵だな、とわたしがおもう人生の達人は、皆、共通して、エネルギーが上から下へ、下から上へ、流すパワーが半端ない。
世の中には「答えは無い」と一般には言うけれども、
『答えはあるに違いない』というのが、わたしの追い求めている答えだと思う。
『正解』というものに近付いたとき、
果たしてそれは自分の中でどう響き、他者にはどう伝わるのか。
絶対、力強く響くと思う。
私を動かしているのは、それ、やってみたい。っていう好奇心だけだと思う。
Easy,easy.
追い詰めずに、気楽にいきます (*´∀`*)
最近、信仰という面ではなく、心というものの有り様を追究した分野、という意味で、空海さんや仏教の本を読んだりしている。
バッハを弾く時に、何を考えるか。彼は何が面白いと思って世の中を観てたのか、というのが、ずーっと疑問だった。わからん、と学生時代、最初につまづいたのが、バッハだった。
真摯に楽譜に向き合うしか、その答えの糸口は見付かりそうもなく思えた。音程など音の色彩、現象で追っていたのだけれども。
昨年サイマーさんの講習の時には、拒否反応を起こした陀羅尼、真言というものを、空海さんが解説している文章を読んで、かすかに閃いたことがある。
まさに、同じ心境だったんだろうな、と。
この世、あの世という言い方はあれども
バッハが観ている世界も、また「色」のなせるものなのだから、その違いはあるまい。
「全能なる神」がお創りになった、この世の美しさを、音楽の形を借りて表現しているのだと思う。
数字や調性、いろんなものに意味を持たせ、Soli Deo Gloria(ソリ デオ グローリア)
#Soli Deo Gloria
神に栄光を帰す、という言葉を、バッハは自分のサインのかわりによく楽譜に記したそうです。昨日Uさんに教えて頂きました。
そんなの当たり前じゃん!って周知の事実なのかもしれないけれど
やっとここまでわかった、ってちょっと納得してます。
何気ない風景を見ても、観る人が観れば、「全てに神さまの恩恵の光が降り注いで輝いている」って感動の眼で感じられるように、
バッハの楽譜。並ぶ音型の中に、数えきれないほどの美しさが隠れているのだけれども。
あとは、それを自分がどこまで捉えられるか、感受性と、それをおとす技術と。
もしつまらない、って皆が思うんであれば、それはわたしの力不足なだけだ。
素面ながら、酔ってる感じだな。ふふふ 得意。
ああああ
道のりは遠いな。
コメントをお書きください
設計士のSY (日曜日, 31 1月 2016 19:59)
素晴らしいコンサートでした
コンパクトな空間のあの至近距離で 目の前で音楽が生き生きと紡ぎ出される瞬間に立ち会い それを全身で感じた気がします
裸足の足の裏を通して何かの波動が広がっているようでしたね
やはりシャコンヌの感銘は格別でした
途中調性が変わる瞬間 いつも胸が熱くなり 心が揺さぶられます
昨日もそうでした
こんな偉大な作品が創られたそのことに感謝したくなる
そのような思いを新たにしました
私は1月はじめにジャカルタを離れ東京勤務になりました
月に2度ほど週末宝塚の自宅に帰ります
また機会があれば演奏会に足を運びたいです
SY
慎子 (月曜日, 01 2月 2016 10:04)
SYさん
コンサートにいらして下さって、声をかけて下さってありがとうございました。ビックリしました☆ コメントも嬉しいです。
確かに、目の前!でしたものね。でも、本当に小さな子どもさんも熱心に聴いて下さって。
現実的なお客さまとの距離よりも、自分と音楽との距離、それが毎回手に入るとは未だ確定しないので、そちらに必死で(^^;
シャコンヌだけは、やはり特別な気がします。2番自体が、どこか哀しみを帯びているように思えますが、シャコンヌは特に感情的に巻き込まれた歌がないと、保たない感が。どんな人がいろんなアプローチをしても形になるバッハですが、シャコンヌのこの特性こそ、色んな人たちを惹き付けてやまない魅力なんだろうな、と思います。
完成する、満足する、ということは遠いかもしれませんが
やっぱり喜んで下さる人がいると、励みになります。
それにどんな風に聴こえたか、という意見もすごく参考になります。
また聴いて頂いて、感想、ご意見、よろしくお願いいたします☆